SS「伊豆の猫」

伊豆の国を舞台にした、どこかで見たような懐かしさを感じる、ショートストーリー。

 

読んでいると、ほんわか心があたたまる、そしてなんだかお腹がすいてくるようなお話からはじまります。

 

お話が好き。読むのが好き。描くのが好き。空想が好き。

 

「読む人と書く人が、皆が参加して一緒に物語を育てていけたらいいな」

・・・そんな夢を持って、スタートしたプロジェクトです。

 

ストーリーの展開は無限大。

あなたならではのストーリーも展開してみませんか?

感想・続編投稿・サイドストーリーの投稿など大歓迎です!


<登場人物>

 

マオ 

1歳の雄猫、初老の夫婦に飼われている。
名付け親は夫婦の息子である長男、現在は東京で働いている。
猫の種類は不明、マンチカンっぽい三毛猫。
      

 

黒虎 

伊豆長岡駅周辺に住まうノラ猫、黒っぽい虎猫。

色々と物知り。

 



第1章

0.

 伊豆の国市、伊豆長岡。
 その玄関口と言える伊豆長岡駅の一角に、一匹の野良猫が居た。
 全体的に黒みのかかった虎縞模様、並みの猫よりも一回り大きな体格で、どっしりとした佇まいの立派な野良猫だった。

 その猫は、この伊豆長岡駅という場所から人を眺めたり、匂いを感じ取るのが好きだった。

 朝になると、駅の脇にある店から甘い香ばしい匂いが漂ってくる。何かがふんわりと焼き上がる様な、甘く優しい匂いだ。
 そして静かだった駅に人が出入りし始め、うるさい音を立てて電車がやってくる。
 若い人間、老いた人間、小さな子供、たくさんの人間が行き交う様を、野良猫はひっそりと駅の何処かから眺めていた。

 その騒がしい時間が過ぎると、野良猫は少し微睡みながら次の匂いを待つことにしている。
 時々通りがかった人間に、気まぐれに頭を撫でさせながらうとうととしていると、今度は駅の向かい側から別の匂いがし始める。
 まずは、角の店から漂う甘い匂い。砂糖を煮るような濃厚な匂いや、ミルクの優しい匂い、甘酸っぱい果物の匂い等、時間が経つにつれて様々な甘い匂いが風に乗って運ばれてくる。

 次に、たくさんの湯を沸かす匂い、酸味の利いた何かを煮詰める匂い、猫には少々キツイ香草やにんにくの匂い。
 一体何の匂いなのか、野良猫には見当もつかなかったが、その匂いの先にある店に入っていく人間は腹をすかせた顔をして、出てくる頃には満足そうな顔をしている。
 きっとあそこでは人間に上等な餌を与えているに違いない。猫はそう解釈していた。

 そしてまた微睡みながらしばらく、陽が徐々に落ちてくると、駅が少しずつ騒がしくなってくる。
 少し疲れた顔をした人間達が、駅から出てくる。
 それは楽しそうだったり、少しぐったりした様子だったり、仲間同士ではしゃぎながらだったり、朝と比べて随分と色々な様子をしている。

 更に陽が落ちて、薄暗くなり始めると、また別の匂いもし始める。
 人間達がサケ、と呼ぶ水の匂いや、あの上等な餌の匂い、全く違う食べ物の匂い。
 この時間になると、人間達の住む家々から、それぞれ違う美味しそうな匂いがし始めるので、野良猫も腹が減ってしょうがなかった。
 いつもこれくらいの時間になってようやく、野良猫は駅を離れて自分の餌を探し始める事にしていた。



1.

 クロトラはこの町で一番の野良猫である。と自負していた。
 身体も大きいし、縄張りも広い、若い野良猫なんかは一睨みでおどおどしながら退散する。
 いわゆるボス猫という奴だった。

 その日も駅の片隅で陽を浴びながらのんびりとしていると、見慣れぬ猫が視界の端を横切った。
 きょろきょろと周りを見回しながら、少し歩いては立ち止まり、またそろそろと歩き出すのを繰り返す。
 見るもの全てが珍しいのか、近くを通り過ぎた自転車が鳴らしたベルに、毛を逆立てるほどに驚いて飛びあがったのには笑ってしまった。

 子猫と言うには少し大きすぎる、成猫というには少し小さすぎる。
 手足がちょっと寸足らずな三毛の若い猫は、あっちへふらふらこっちへふらふらと歩き回る内に、徐々にクロトラの方へと近づいてきていた。
 その猫はまるでこっちに気付いていない様子で、アスファルトの隙間から生えた花の匂いを嗅いでいる。

「おい、そこのチビ」
「わっ!? だれ?」

 もう声が届く程の距離にまで近づいているのに、全く気付かれないのもむず痒く、やれやれとクロトラが自分から声をかけると。
 その猫は再び毛を逆立たせて驚き、飛びのこうとして足を滑らせて転んでしまった。

「そりゃこっちのセリフだって、こんな所で何をしてるんだ?」
「いたたた……、びっくりしたぁ」

 普段なら、クロトラの迫力に普通の野良猫は即座に退散するものだが。
 目の前の猫は単純に急にかけられた声に驚いただけで、起き上がると無警戒にひょこひょこと寄ってきた。

「見ない顔だが、ここが誰の縄張りか分かってるのか?」
「わかんない、だって家から出たの初めてだもん」

 なんだ、世間知らずの飼い猫か。
 ちょっと拍子抜けした様子でクロトラが警戒を解き、その場に座り直すと、三毛も傍に座り込んだ。

「何も知らないようだから教えてやるが、あまり考え無しにに他の猫の縄張りに入ってくるもんじゃないぞ?」
「ふぅん、そうなんだ。入るとどうなるの?」
「どうなるって……そりゃお前、ひどい目に合うのさ。短気な奴なら、引っ掻かれたり噛みつかれるかもしれないな」
「そっかぁ、大変だね」

 あまりに間抜けな返事に、クロトラは思わずこけそうになった。なるほど、この猫はとんでもない箱入りの平和ボケなのか。
 人に飼われて、今まで一度も家を出たことが無いというのは本当らしい。

「なんか危なっかしい奴だなぁ、お前。怪我しない内に飼い主の元に帰った方がいいぞ。野良猫は余所者には厳しいんだ」
「そうなんだぁ、じゃあおじさんは野良猫じゃないの?」
「なんだって? どうしてそうなるんだよ」
「だって、そうやって僕に色々教えてくれるじゃないか。野良猫は余所者には厳しいんでしょ?」

 そうか、そりゃそうだよな。とちょっと納得してしまう。
 が、軟弱な飼い猫だと思われるのはクロトラのプライドが許さない。

「あー、そうだな……俺は、野良猫の中でも特別に器がデカいんだよ。ここら一体のボスなんだから、短気なそこらの野良猫とは違うのさ」
「じゃあ、凄い野良猫なんだ! かっこいいねぇ!」
「お、おう、そうだよ、俺は凄いんだ」

 三毛のあまりにも素直な言葉に、思わずクロトラは照れてしまった。誰だって、褒められて悪い気はしない。

「……しょうがねぇなぁ、世間知らずなお前の為に、俺が色々と教えてやるよ」
「本当に? ありがとう!」

 まぁ、こいつを放っておいたらどんな目に合うか分かったもんじゃないし。
 少しくらいは世話を焼いてやってもいいか、と何やら言い訳めいた事を考えながら立ち上がる。

「それじゃあチビ、俺がこの伊豆長岡を案内してやるよ」
「うん、でも僕はチビじゃなくてマオだよ。ちゃんと名前で呼んで欲しいなぁ」
「そうかそうか、悪かったな、マオ」

 クロトラが歩き始めると、マオもひょこひょことそのすぐ後ろを歩き始めた。


2.

マオは、伊豆長岡駅の裏手にある住宅街の、とある家庭で飼われているメス猫である。
 親戚の家で生まれたマンチカンという子猫の一匹を、縁あって引き取る事になってこの伊豆長岡にやってきた。
 高校生になる長女は猫が好きでそれはもう可愛がり、マオも生来人懐っこい性格で、存分に甘えて大事に育てられた。

 初めは家の中だけで暮らしていたが、しばらくして庭で遊ぶようになり、塀に上って家の周りを眺めるようにもなった。
 そしてある日、マオはいつものように塀の上にのって周りを眺めていたら、一つの光景が目に入った。
 塀の向こうの道、一匹の大きな犬がリードに繋がれて人間の子供と一緒に歩いていたのだ。
 
 犬は、それはもう大きくて力もありそうな立派な犬だったけれど、子供の歩く速さに合わせて隣をゆっくり歩いている。
 子供が何かに気を取られて足を止めると、自分も足を止めて振り返り、子供の様子をじっと見守っていた。
 そうやってゆっくりと立ち止まりながら進む様を見て、マオはなんだかその一人と一匹が羨ましくなってしまった。

 犬たちの様子をじっと眺めていると、いつの間にかマオの飼い主である杏美とおばあちゃんが後ろに立って、マオと塀の向こうの様子を眺めていた。

「あら、塀の上なんかに登ったりして、大丈夫かね」
「マオ、あなたも散歩に行きたいの?」

 杏美が手を差し出したので、マオはその手の平に頭を擦り付けて鳴き声を上げた。
 それから、杏美に塀から落ちないようにやさしく抱き上げてもらうと、マオは喉をごろごろと鳴らしながら腕の中で丸くなる。

「最近は色々と世間が厳しいから、散歩に行くのも大変だよ? 他所の家に勝手に入り込んだり、粗相をしちゃダメ。喧嘩なんてして怪我とかしたら、私泣いちゃうかも」
「分かったよ、お行儀よくする、喧嘩なんて絶対しないよ。だから僕も散歩に行っていい?」

 鳴き声を上げて返事をするが、杏美は猫の言葉が分からないので、同じような事を繰り返しながらマオの頭を撫でていた。

「放し飼いをするのにも、きちんと近所に配慮しなきゃいけないよね……。今度散歩用の首輪も買ってきてあげるからね」

 マオが初めての散歩に出かけたのはその数日後、杏美がチェック柄のノミダニ除けの首輪を買ってきてくれた翌日だった。


3.

「なぁチビ……じゃあなかった、マオ、お前さんはどの辺りに住んでるんだ?」
「すぐ近くだよ、いつも駅に電車がやってくる音が聞こえるんだ」
「じゃあ、俺の縄張りの内だな、遠出さえしなけりゃ他の野良にちょっかい出される事もねぇだろうよ」

 クロトラがマオに自分の縄張りを案内する事になり、まずは縄張りがどのくらいの広さかを教えるために、二匹は伊豆長岡駅の近辺を歩き回っていた。
 あの変な屋根の建物の向こうからは別の猫が縄張りにしている。あっちの山側には野犬が住み着いているので、誰も縄張りにしていないが危険だ。
 適当に説明しながら歩き、縄張りをぐるっと一周していく。

「でもって、こっちはこの千歳橋までが俺の縄張りだな。川の向こうまでは広すぎて面倒見切れねぇ」
「ふぅん、おじさんの縄張りって広いんだねぇ」
「とはいえ、俺だっていつも縄張り全体を把握しちゃいないんだけどな、だから俺以外の野良もちょいちょい住んでる。けど、別に人様に悪さしない限りは俺もうるさく言わねぇのさ」

 千歳橋の手前、奇妙な銅像の足元から橋を眺めつつクロトラが大きな欠伸をする。
 マオもつられて思わず欠伸が出たが、のけぞった拍子にバランスを崩して後ろに転がってしまった。

「っとと、野良なのに人の事を気にするの?」
「あまり悪さばかりして目立つとな、ホケンジョって所から怖い人間がやってきて、二度と帰れない場所に連れていかれちまうのさ」
「何それ!? 怖い!!」
「ま、大丈夫さ。お前は思ったより行儀が良いみたいだからな、そういう連中に近づかない限りは平気だよ、へーきへーき」

 二匹でしばらく川を眺めたり、橋の手前の角の店から漂ってくるクレープの焼ける匂いに鼻をひく付かせたりしていると、だんだんと人通りが増えてくる。
 中には二匹を撫でたさに近寄ってくる人間も増えて来たので、二匹はまた最初に会った駅近辺まで戻ることにした。
 それから、駅を出入りする人間達を眺めながらごろごろしていると、マオがバスから降りてくる二人を見つけて飛び起きた。

「あっ、おばあちゃんとおじいちゃんだ! 病院から帰って来たんだ!」
「おお、じゃあそろそろ家に帰ってやんな。はじめて家を出たんなら、婆さんも帰ってお前の姿が見えないと心配するだろうよ」
「うんっ。おじさん今日はありがとうね、始めて散歩しておじさんに会えて、僕とっても嬉しかったな」
「まぁ、また気が向いたら、退屈しのぎに相手してやってもいいぜ」

 その言葉に、絶対また来るからねと、マオは既に駈け出しながら言って去っていった。


4.

 ある日の事、駅の一角でクロトラとのんびりしていたマオの鼻に、不思議な香りが漂ってきた。
 今日は陽射しが熱いので、日陰になる場所で二匹ごろごろとしていたが、漂ってくる腹の減る匂いに、マオが鼻をひく付かせて身体を起こし、匂いの元を探る。

「ねぇ、あそこは何をやってる店なの?」
「ああ、あそこか、あそこはパスタってのを人間に食わせる店だな」

 その香りの元は、駅の真正面にある、三色の看板が目を惹く一軒の店からだ。
 
「パスタってどんな食べ物なのさ」
「確か、細長いニョロっとした食べ物を沢山のお湯で煮て、いろんな味を付けて食うんだよ」
「へぇ、美味しいのかな?」

 時折、猫の嗅覚にも美味しそうな香りが漂ってくる上に、その店に出入りしていく人間達は皆、同様に嬉しそうにしているのだ。

「さぁな、人間様にとっては美味しいんだろうよ。あそこのは、カニとかも入ってるらしい」
「カニ? カニってどんな食べ物? 美味しいの?」
「カニってのは、水の中に住んでる生き物だな。人間達にとっては、偉いご馳走らしいぜ」
「そうなんだ、僕も食べてみたいなぁ!」

 目を輝かせたマオが、興奮した様子でクロトラの周囲をうろうろし始める。
 最初はクロトラも、さもうっとうしそうにしていたが、ふと思いついたように起き上がり、マオに声を掛けた。

「よし、じゃあカニが居る所、連れてってやろうか」
「本当に!? 行ってみたい、連れて行ってよ!」
「俺はあんまり好きじゃないんだけどな、一度食ってみれば分かるだろ。ほら、着いてこいよ」

 クロトラが立ち上がってのしのしと歩き始めると、マオも急かす様にその先へと駈け出した。
 線路を跨いで駅の東側へと渡り、住宅街を抜け、田んぼのあぜ道を歩いていく。
 途中、何度もまだ?と聞いてくるマオをたしなめて歩き続けると、大きな四角い煙突の様な建物が見えてきた。
 側には川が流れ、水の音が辺りに涼し気に響き渡っている。

「ほら、見えるか? アレは昔の人間が建てた物だぜ、反射炉ってんだ」
「はんしゃろ? あの中にカニがいるの?」
「バカ、あれは目印だよ、カニは近くの川に住んでるんだ」

 反射の脇の小川を覗き込むと、透き通った川の水の中で小さな小魚が時折白い腹を陽光に反射させて泳いでる姿が見える。
 二匹は探しやすい川原がある場所を探して川をさかのぼり、水辺に降りると水中を覗き込む。

「この辺りにいるんだ、ちょっと待ってろよ」
「う、うん、水の中に入るのはちょっと怖いなぁ……」
「水が好きな猫はあまりいないからな、今回は俺が取ってやるよ」

 言うと、クロトラは浅瀬の中を覗いたり、小川近くの河原をきょろきょろと探し始めた。
 やがて、目的のものを見つけたのか。素早く手を伸ばして何かを抑え付けると、それを咥え上げてマオの元へと戻ってきた。

「そら、こいつがカニだ。食ってみろ」

 ぽとりと、マオの目の前に小さな生き物が落とされる。見慣れぬ生き物にマオがおっかなびっくりと顔を近づけてみると。
 それは、猫の手の平ほどの小さなサワガニだった。

「へぇ……こんなに小さいんだ。僕はもっと大きな物かと思ってたよ」
「人間が食べてるのはもっと大きい奴らしいけどな。けどこいつだってカニだからな、味なんてそんな変わらないと思うぜ」

 すぐにまた、クロトラがもう一匹捕まえて戻ってくると、目の前でバリバリと音を立てて食べ始める。
 それを見て、マオもまた真似して食べ始めた。

「う、う~ん……これって、美味しいの?」

 甲殻をバリバリとかみ砕きながら食べていくと、なんだかすこし泥臭い。

「……毎日は遠慮したい所だな」
「人間って、変わった物が好きなんだね」
「そうだなぁ、変な連中だよな。人間って」

 好き勝手な事を言いながら、二匹はサワガニをバリバリむしゃむしゃと食べ続けていた。


<つづく>